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Clik here to view.『私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る』
この詩篇の詩人は、なつかしいシオンの山を見上げて、こころの中からこみ上げるような思いで、天地を造られたイスラエルの神に思いをはせたのでしょう。ラスキンは「山は神を見上げるために築かれたカテドラル」だと言いました。私たちは、下ばかり見て、上を見上げないところがあります。私の尊敬するある牧師は、今はもう天に召されましたが、素晴らしい牧師でした。しかし、大学生の頃は、身を持ち崩し、本も布団も遊興費のため質に入れてしまうほどでした。親からも勘当されてしまいました。ある時、わずかなお金が落ちていないかと、下ばかり向いて、10キロ近くの道を歩いたそうです。後に、その牧師は私にこう話してくれました。「羽鳥君、下にはろくな物は落ちていないね。汚いものばかりだ、それから僕は、上を見上げる者にされたんだよ」。また、私がある時、助けられるべき環境にある人が、誰からも突き放されているのを見て、そのわけを友人に尋ねたことがありました。その友人は言いました。「あいつはね、誰かに泣きついていくけれど、ちょっとしたことでその親切にしてくれる人を裏切って別の人に泣きついていくんだ、しばらくすると、またその人の悪口を言って、別の日とに泣きついていく、だから誰も彼を助けようとしなくなってしまうんだ」・・・・・・
パウロは、「上にあるものを求めなさい。(コロサイ3;12)・・・と言いました。本当の助けは上から、天地を造られた神から来ます。地上にあちこち助けを求めるのではなく、天を見上げ、神からの助けを求める雄々しい人になりたいものです。(羽鳥明師。今日の詩篇より)。・・・・・・
自分には、この詩篇の一節には特別な深い思い入れがある。それは多分40年位前のことだったろう。あらゆることが、逆回転するような日々だった。多分、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた頃、この地方にある、山へ向かい、この詩篇を声を限りに叫んだことがあった。
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