「サタンとは何者か」。以前この主題で、ある神学者の書いたものを転載していたが、今朝、検索してみると、表題だけ残し本文はすべて消えていた。内容はだいたい記憶しているが、全て受け入れられる内容でなかったが、少なからず、重要な示唆が含まれていたように思
う。それで、今、なぜサタンについて書こうとしたかというと、昨年末から、今日にいたるまで、「恩寵教会」に、サタンが入り込んだとしか思えない、様々な出来事が、起って来ている。その事が、そもそも、自分が「胃潰瘍」になった直接の原因なのだが、おぞましいで駅ごとである。・・・・・一人の女性信徒が、反旗をひるがえした。事の発端は、昨年12月29日の夜、突然その信徒から電話があった。ちえ子が受け取ったが、電話は延々と一時間以上にも、及んだ。私はそばにいたが、内容は、ちえ子の受け答えで想像するしかなかったが、随分酷いものだった。ちえ子は、正直に言って、頭の回転が遅い、機関銃のように繰り出される、教会批判、牧師批判、説教批判、あらゆる罵詈雑言を浴びせられながら、ちえ子の答えはただ一つ「わかってます、分かってます」それだけしか言えないようであった。「最終的には、「こんな教会は閉じてしまいなさい」。玄関にしっかり鍵をかけて、間違って人が入ってきたら、誤った、メッセージを聴くことになるので、教会を閉めなさい」・・・・・・不思議に思うのは、彼女とは40年来の交際がある。ご主人はいい人だったが、2年前に召された。私たちが教会を始めた時、真っ先に礼拝につらなってくれた夫婦である。この40年間沢山の想い出もある。礼拝もほとんど休むことはなかった。そんな彼女が突如として変貌したのは、なぜだろうか、理由が分からない。「突如狂った」としか思えない。ご主人が亡くなって、2年余、田舎のの一軒家に暮らし、耐えがたい孤独感が、あるいは、長年、「精神病院の看護師」として、勤務したことが影響しているのか、「精神病院に長く勤務すると、その人はある程度、精神にダメージを受ける」ということが言われているが、本当だろうか。彼女が豹変した理由は、本当のところどこにあるのかわからない。元々、いい加減な信徒なら驚きもしないが、「献金も礼拝出席」も人一倍熱心だっただけに、ただ、ただ、合点のいかないことばかりだ。・・・
最初に電話してきてから、翌日また電話、そこでまた、30分にわたり、教会を閉めよ、教会を閉めよ、とまくし立てていた。彼女のなすべきことは簡単だ、教会を去ればいいだけのことである、元々、彼女の教会籍は「大館ルーテル教会」にある。いわゆる、恩寵教会では、客員なのだが、それを移そうとしない。20年近くひたすら、耐え忍んで来たが、いつかは白黒つけなければならないと思いながら、延び延びにしてきた。・・・・・・・・
これだけ、教会批判をしながら、礼拝には相変わらず、出席する、
そして、あれエこれ、ケチをつけて帰る。どういう神経なのだろうと疑うのだが、追い出すわけにもいかないので、今のところ静観している。おそらく、彼女の精神が、異常をきたしているのであろう。とてもそれ以外に考えられない。思えば哀れとしか言いようがないが、小さな村の一軒家で、2年近くも訪れる人もなく、一人暮らしをしていると、つい、つい、全てのことが悪しき風に思えてくるのだろう。去年の春から始めた、拡張工事についてもこんなことを言ったという「見栄のために建てたんでしょう。誰も来ませんよ、こんなところ」
見栄を張るなら、「高級車を乗り回すよ」。今は、5年目を迎える、軽自動車に乗っている、それで、結構、用が足りる。要するに、ありとあらゆることが、「癪」にさわるようなので、静かに話し合いを持とうとしても、受け付けない。極めつけは、礼拝中に、牧師の説教を聞きながら、二度三度と、首をかしげるのである。これは、説教者にとって、「愕然」とさせられる。礼拝を休まないいいが、必ず、時間ギリギリに来る、あるいは、1,2分遅れて会堂に入って来る、それは意図的にそうしているようなのだ、そのことが、他の信徒、客人、求道者にどのような影響を与えるか、はかり知れない・・・・・
結局のところ、彼女の目的は、「北秋田恩寵教会」を、無きものにしようと企んでいるとしか思えない。従って、次週、来たら、今後一切当教会への立ち入りを禁止する旨堅く申し渡すことにする。・・・・
これまで、書いてきたことは、うそ偽りのない出来事である。このことを考えながら、つくづく、「サタン」と言う者について考えさせられた。サタン、すなわち、別名「告発する者」の異名の通り、思えば、彼女は、その通りのことを、してきたのは、紛れもない事実である。40年来の友人とたもとを分かつのは辛いし、彼女の御主人は、いい人だっただけに辛い事ではあるが、仕方がない・・・・