Quantcast
Channel: イミタチオ・クリスティ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 103

1月6日(月):上宮家の悲劇

$
0
0

・・・・・剣を取る者は、剣で滅ぶ・・・・・

和を以て貴しと為す。と言う厩戸のこの一条の目指すところの者は、儒教はもとより仏法の教えをはるかに超えるものである。そのことはやがて、明らかになっていく・・・・厩戸、生母間人太后が相次いで崩じたことは、前に記した。斑鳩の上宮家にさらなる不幸が続く。聖徳太子の嫡男、山背大兄王が権力争いに巻き込まれ、一族二十余名が非業の死をとげるのである。上宮家に味方する者たちは、挙兵を

勧めたが、厩戸の子らはそうすれば敵に勝てることはわかっている。しかし、戦になれば、父の定めたこの一条に反し、百姓に難儀を与え、他にも害を及ぼす。それ故、敵将(入鹿)に我が一身を与える。

一時、、生駒山に身を潜めていた二十余名従容として山背の後に続き、法隆寺に入り、絞き(わななき)首を括りて果てた。厩戸蒙去後わずか二十年後(643年)のことである。こうして、子たちは父厩戸の定めた一条に従容として殉じていったのである。・・・・・

上原 和氏は『それは、あたかもゴルゴタの丘へ十字架を担い、よろめきながら行くその人のように』と記している。・・・・・・・

時代がくだって二百年嵯峨天皇は818年、律を改正して我が国において、「死刑制度」を廃止した。大和の国から死刑という刑罰を亡くしたのである。これが、驚くべきことに347年間、武家社会があ勃興するまで続いたのである。世界の歴史において、1200年も前に、どこの国の王侯、貴族のうちの誰が、この制度を廃止しようと考えた者があろうか、刑罰をもって民の罪を防ぐよりも、元に帰って、官にある者が善行礼譲をもって、民を徳化せねばならない。と定めた。

・・・・・・・厩戸の願いでもあった・・・・・・

追記:万葉集にある聖徳太子の歌

世の中は 空しきものと 知る時し

   いよいよ益々 悲しかりけり。

 





Viewing all articles
Browse latest Browse all 103

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>