北上川は、岩手県北部、石川啄木の故郷渋民村の近く、七時雨(ななしぐれ)山に源を発し、岩手県の中央部を潤して南下し、太平洋側「追波湾」に注ぐ250キロメートルに及ぶ県を代表する河川である。それだけに折にふれ詩歌に謳われている。・・・・「やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺めに見ゆ 泣けとごとくに」(啄木)。啄木の歌った北上川は、その源流に近い小川である。柳の木が両岸にはえ繁り、カブト虫が飛んでくる、懐かしい故郷の小川なのである。・・・・北上夜曲。におい優しい白百合の濡れているよなあの瞳、思い出すのは、思い出すのは、北上河原の初恋よ、昭和戦後のヒット曲である。・・・・松尾芭蕉。奥の細道でこの俳人が詠んだ一句。「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡(芭蕉)。藤原三代、奥州平泉で栄華を」極めた武家たちの栄枯盛衰に北上川を望む地で芭蕉は思いを馳せた。(ここはまた、義経はが最期を迎えた地である、その昔、自分も一度その地に立って、北上川を眺めた思い出もある)
・・・・・・・・イエスは彼らに言われた。「もしあなた方が盲目であったなら、あなた方に罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今「私たちは見える」と言っています。あなた方の罪は残るのです。」ヨハネ9:41。・・・・・北上川に棲息する魚たちに、啄木が歌ったように山村を流れる美しい雪解けの小川の風景は見えてこない。夕暮れが迫っても、川面にむせび泣くような抒情夜曲は聞こえては来ない。まして、300年前の、芭蕉の足音も聴いてはいないし、その昔、兵どもが夢を求めて相争った騒乱も魚たちには無縁のことであった。・・・イエスと言う方は実に優しい方である。北上川に棲息するお魚さんにそれでいい、大丈夫ですよ。と言われるのです。一方、「見える」と言い張っているパリサイ人には厳しいお言葉を述べられている。「あなたがたの罪は残るのです」と。・・・・イエス様は、その目を開けてやった人がパリサイ人から追放されたと聞いて、わざわざその人を捜し出して、もう一度ご自身を示された、そしてイエスを拝する者にされた。・・・・イエスが最もお嫌いになるのは、私たちの心の「頑迷」さであるようだ。罪が残らないように、主のみ前に、北上川の青き柳のように、心たおやかな信仰者になりたいものである・。